情熱のオーディオ

第七章 昭和40-50年代の技術開発

CD-4

技術的にはより立体感即ち音場認識が強くなって来た時代である。
ここでは4チャンネルステレオの開発について触れることとする。
昭和45年日本ビクターからディスクリート4チャンネル「CD-4」方式レコードの 発表があり業界は騒然となったのである。
その特徴は
  1)2チャンネルレコードとの互換性があり
  2)2チャンネルレコードとして再生することができる
  3)各チャンネルとも全く同等の30-15000Hz帯域の
    ハイファイ音が再生できる
とあり各チャンネルがディスクリートであることが大きな注目となった。
各社とも疑似的な手法であるマトリクス方式であったからである。


「CD-4」開発の背景

ビクター75周年記念出版「燃える魂」を引用させて頂くが
「高柳先生は4チャンネルオーデオにもいち早く着目され、独自のアイデアを持って、 若い社員と熱心に討議をされ刺激を与えられた。また米国出張で、 マルチチャンネル化の胎動を察知された帰国後、黒板に4個のスピーカーの絵を書き、 どのようにしたら一本の音溝に四つの信号が乗るかを我々に問いかけられた光景が目に浮かぶ。」
とあり日本が自らのエンジンで動かねばならないグローバル化の時代に先駆け「先取り、独創、執念、チームワーク」 という時代に即したイノベーシヨンに必要な高柳スピリッツの真髄を技術者に植え付けられた」のであった。
CD-4は発表以来カートリッジに改良が加えられ、翌年(昭和46年) 「シバタ針」の発表が行われた。
この針は先端の形状に工夫をこらし音溝とピッタリ接触し、接触面積が大きいのでレコードと針の寿命を延ばし 50KHzまでフラットな特性を得ることが出来発売開始となったのである。

1971年ニユーヨークで開催されたAESコンベンションで技術発表とデモ が行われ、そのチヤンネル・セパレーシヨンの良さのために好評を博した。 日本市場では4チャンネルレコード、モジュレーターなど発売が開始されたが スピーカーの配置などの制約もあって数年で市場からの衰退となったのであった。
然しながらモジュレーター、レコード盤の材料、カートリッジなどの性能 改善努力がその後の各社レコード録音・再生系の性能向上にあたえた影響は計り 知れないものがあり業界全体のクオリテイ向上に貢献したったのであった。

VHD
昭和53年1月VHD開発グループは万全の準備のもと試作品を公開した。
この日のVHDへの高い評価は、そのまま翌昭和55年松下電器のVHD方式採用の 決断へとつながり、VHD事業のスタートにとって重要な意味をもつことになる。 発売はディスクとピックアップの接触改善に手間がかかり昭和58年4月の発売開 始となった、発売開始時のソフトは200タイトルであったが700タイトルと 増強し年末商戦に備えたのである。
数多くのソフトと共にVHDプレヤーが発売されたのであるが。ディスクが アナログ記録のためCDより小さなピットの傷、欠陥の訂正・補正が効かず苦戦を強いられたのであった。
ディスクの取り出し機構、ディスク成形、原盤、材料等多くの新技術開発が生まれ 次のディジタル時代のDVD、BDに引き継がれたのである。
VHD