情熱のオーディオ
序 ステレオ事業の黎明
幼少の頃 電蓄は京都の竹針が一番といわれていた、蓋を開けると犬のマークが人懐かしい姿で座っていた。
日本の多くの企業が漸く大戦の傷を癒し大きな発展を目指す時期にあった。
配属は中学時代からの趣味であった電蓄関係を希望しラジオ技術課電蓄係りと決まった。
運河寄りの木造2階建ての一室が仕事場であり6-7名の小人数であったが昼休みなど
だるまストーブを取り囲んで開発テーマ、新商品の企画など話が盛り上がり、即検討、意匠(デザイン)関係と
打ち合わせ等毎日が夜遅くまでの仕事であったが楽しく忙しかった日々が思い出される。
第一章:LPレコードの時代
1)電蓄本体
SPレコードに比べはるかにノイズが少なく広帯域・長時間再生のLPレコードが本格的に発売されだした昭和29年
ソースをより忠実に再生するため次元の高い音楽性の再現へと数々のアイデアと技術を駆使したハイファイ
オーデオラ「LAシリーズ」が誕生した。
このシリーズは最高級オーデオラとして喫茶店をはじめとした業務用LA-2、
マニアに愛用されたLA-3、LA-6のコンポシリーズとLA-4、8 などのキャビネット収納タイプに分かれるが
中でもLA-8はモノラル時代にもかかわらず前方、左・右、下方の4スピーカーで臨場感を出す音響効果があり国内、
海外電蓄市場のヒット商品となった、響きのある本当にいい音だった。
LA-8は電蓄として初めての横長デザインであり次世代のステレオ電蓄に大きな影響を与えたのであった。
2)レコード
LPレコードは昭和26年にコロンビアが日本では初めて発売を開始した。
原盤輸入でたやすくプレス販売できたのに対しビクターは録音テープしか保有しておらず自分でLPレコードの
音溝をカッテイングして原盤を作成する面倒な仕事から始めなければならず多くの関係者の努力で昭和28年10月新譜の
発売が開始された。(井上敏也氏「新製品開発夜話」より)
この時のカッテイング技術の向上が後の45-45方式開発に大きく寄与したと推察される。
3)キャビネット
昭和29年キャビネット電蓄のデカルコマークがオーデオラと変わった年である。
昭和30年新体制3年目をむかえ営業第一主義が全社に定着した。
この時期にデザインは
営業第一線との連携強化が叫ばれ本社営業部の中のマーケット課の一員となり同時に製造部門も強化の時代であった。
(富沢市郎氏「デザインの歩み」より)