初代ステレオ事業部長 鈴木健の 「私の体験よりの随想」


第6章:大和工場の設立と限りなく発展させる要因「原音探求」

1):先にも述べたようにTVの出現により、ステレオ事業は頭打ちになるのでは?とする雰囲気の中で、ステレオ事業はその特徴を発揮するならば、 TVと並行して立派に成長する市場と叫び、新工場設立を申請する。当時の普及率は10%程度(10軒に一台)。一般にステレオは趣味性に強く贅沢品 ではないかと考えられる時代であった為です。私は最低50%の普及率になる、いや必ずそうせしめますと、清水の舞台から飛び降りる覚悟で申し上げ、 占有率は少なくとも30%は確保することを前提とする詳細データを示す。 トップは「よしお前に20億くれてやるから思い切ってやってみよ」といってくれたのには、ありがたさと同時に提案者として大責任を感ぜずにはおれなかった。 当時の20億は今にしてみれば大変な額であり、借金の会社が漸く稼ぎ出した貴重なお金と思うと身の引き締まる思いでした。


2):神秘なまでに奥深い音の魅力つくりは、より掘り下げ探求するほど限りなく生まれるものであり、この努力さえ続ければ起業は 永久に発展する・・・・・・・この理念と希望を全員に持たせるためのシンボルとして、私は「原音探求」を唱えると同時に工場広場に石碑を立てる。 (現在は大和工場、レコード工場、音研3箇所にある)(訳者註:2013年現在は無くなっている)又大和工場設立と同時にビクターのステレオは 世界に伸びることを目指し、日の丸国旗を毎日掲揚することにした(おそらく日本の企業では最初。勿論V社では最初であることは言うまでも無い)