大山街道八王子道ウオーク第5回レポート
レポート&写真 中島 征雄
実施日:2020(令和2)年11月18日(水)天候 晴 気温 高く汗ばむほど
参加者:折本文夫、杉田勝行、前北勝司、中田信義、伊藤泰弘、中島征雄 計 6名
GPSデータ
歩行距離:8.6km。 累計歩行距離 44.9km。
全体所要時間:3時間18分。移動時間:2時間20分。停止時間:58分。
移動平均速度:3。18km/h。全体平均速度:2.20km/h。
早朝から気温は高く、この時期の冷え込みではない。集合時間より30分も早く全員が集まったので、検温して、打ち合わせ後、駅北口を9時40分に出発。踏切を渡り、街道に出て南下。東武越生線の踏切を渡り、脚折町に入り関越自動車道を潜ると日光街道の標識があった。日光街道の標識はこの後、所々に設置されている。国道4号線と勘違いしそうだが、この道が日光裏街道・千人同心日光往還であることが確認出来る。
街道は、一旦車道から分かれ、また合流。細い川を渡った先に「白鬚神社」があり、参詣に立ち寄る。
街道を進み、脚折才道木交差点で県道を渡ると、道標「市指定有形文化財 才道木日光街道道しるべ」とその解説板がある。それによると、この交差点は、八王子と日光、川越と越生を結ぶ重要な街道が交わった場所であることが判る。交差点の斜め左側に庚申塔と馬頭観音が祀られており、ここが街道であったことが伺える。ここはここから街道沿いに桜並木が延々と続く並木道の北端。現在、並木は杉と松が主で、並木の総距離5.3kmとのこと。
並木道は車道から少し離れており、歩き易い。中学校前の「桜並木解説板」がある。その先街道を左に渡った奥に「鶴ヶ島市指定史跡 武州三角原 川崎平右衛門定季陣屋跡」がある。徳川吉宗の新田開発令により武蔵野台地の開拓が進められたが、入植者は困窮を極め、大凶作にも遭ったので、農民出身の平右衛門を登用し、開墾に成功、代官に任ぜられ、ここに陣屋を設けたとのこと。
街道に戻る。中学校の校庭の南東角に「榜示杙」とその説明板があったのだが、無くなっていた。
街道から左に入った所に昼食場所の幸楽苑がある。まだ、早い時間だったので空いていた。(10:58〜11:35)
街道は国道407号線に合流。一直線の国道を脇の並木道を2km強進み、国道から街道は右に分かれる。その先で並木道の南端となる。街道は左カーブし、コンビニの先で、旧街道は右に分かれる。北小畔川を渡ると旧街道は斜め左に進んでいたが、今は道が無いので、川沿いに左折し、先ほど分かれた車道の戻る。この辺りから高萩宿となる。
長い立派な塀を持つ屋敷の隣に「高萩郵便局(現日高郵便局)」が残っていて、その先、川越線のガード手前に「金毘羅大権現」の石碑と「高萩宿の歴史」「清水喜右衛門と金毘羅大権現」の解説板がある。(12:45)
旧街道は高萩交差点を右折し100m強先で左折、川沿いに進む。次回はこの川沿いの道を歩く。直進して高萩駅前交差点を右折し、坂を上った先が今日の終点、武蔵高萩駅で、12時57分到着。
13時23分発、八王子行に乗る。
今日は、日光街道の一直線の並木道を只々歩いた。
以上
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坂戸駅 | 東上線 | 日光街道標識 |
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白髭神社 | 才道木交差点 | 昼食・幸楽苑 |
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並木道 | | 金毘羅大権現 |
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冬桜 | 武蔵高萩駅 |
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