大山街道八王子道ウオーク第3回レポート
レポート&写真 中島 征雄
実施日:2020(R02)年6月17日(水)天候 晴 暑いが湿度低く、風さわやか。
参加者:折本文夫、前北勝司、宇山治男、中田信義、杉田勝行、中島征雄 計6名
GPSデータ
歩行距離:8.9q 累計歩行距離:28.7q 全体所要時間:3時間20分 移動時間:2時間28分。停止時間:52分
移動平均速度:3.6q/h 全体平均速度:2.68q/h
集合時間より20分も早く、予定全員が集まったので、9時58分に出発。街道を歩く前に、東松山駅西口から箭弓稲荷神社に向かう。3分程で参道入口の鳥居前に着く。箭弓稲荷神社は河内源氏の祖源頼信が乱追討で当地野久ヶ原に帯陣し、野久稲荷神社に戦勝祈願し、成就したことで社殿を再建、箭弓稲荷神社と称したと伝わる。
東松山駅に戻り10:17東口から旧街道に向かう。駅入口交差点を渡り40m程先を右折。この道が旧街道。県道に合流した先に「左 箭弓稲荷道」の石柱がある。(10:35)五差路の若松町一丁目の角に由緒不明の七鬼神社がある。(10:39)神社の左の道を進むと八幡神社があり休憩。(10:58〜11:10)
境内には数多くの「伊勢太々御神楽」の板碑があり、参道入口には「青面金剛庚申塔」の祠がある。
国道407号線を渡って進んだ先左に「無量寿寺」があり、ここが「野本館跡」である。(11:17)本堂裏に館の土塁と堀がある。
門前に堂々とした全長115mの前方後円墳「野本将軍塚古墳」があり、くびれ部から古墳を上り後円部頂上にある神社の脇で昼食とする。(11:25)後円部から前方部に行き、古墳を降りる。(11:58)
真っ平の田園の中を進み都幾川の堤防手前で国道を潜り堤防上に出て、都幾川に架かる新東松山橋を渡る。右岸堤防から右に道を降り、公園から土手に沿って「川風の散歩道」を進む。左の住宅が途切れた所で左折し車道を横切ったところの「高済寺下の清水」を見てせせらぎに沿って進むと「高坂上二丁の石橋」がある。(12:34)この石橋は弘化二年(1845)に旧八王子道の側溝の水を崖下耕地に流す溝に架けられたもの。
戻って進むと「石橋供養塔」と「石橋」がある。(12:45)この石橋は八王子・日光街道の都幾川高坂の渡しの手前の水路に架けられたもの。供養塔は正面に馬頭観音坐像と石橋供養塔他の文字が刻まれている。裏面には建造年月「元治元年(1864)十一月」が刻まれている。崖上が高坂氏館跡で、その崖を斜めに上り、とちゅう左の階段を上ると館の土塁と濠がある。
右の車道に出ると左角に「八王子道」の道標と「奉納経拝礼供養塔」がある。(12:55)この角が旧街道入口で、車道も旧街道である。南に進み、次の交差点を左折すると高坂氏館跡の高済寺門前に出る。(13:00)寺の左に土塁があり館跡の説明板がある。境内に入って土塁の登ると徳川家に仕え、この地の領主であった加賀爪氏累代の墓がある。街道に戻り進み、高坂郵便局がある交差点を右折すると東武東上線高坂駅があり、駅に13時19分に到着。13時30分発池袋行急行に乗る。
以上
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箭弓稲荷神社鳥居 | 箭弓稲荷神社拝殿 | 箭弓稲荷道濠標と鳥居 |
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七鬼神社 | 八幡神社 | 野本将軍塚古墳後円部 |
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将軍塚古墳遠望 | 高坂上二丁の石橋 | 石橋供養塔 |
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石橋 | 高坂氏館跡土塁と濠 | 八王子道道標 |
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高坂氏館跡土塁 | 加賀爪累代の墓 | 高済寺本堂 |
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