第5回社会見学(兼ウォーキング)レポート
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ウォーキングを兼ねた名所旧跡の散策 | ||||||||
秋晴れ・無風で格好のハイキング日和となった10月22日、京王線永山駅頭に集い来たのは支部活動家の面々。 特別参加として、地域事情に詳しい多摩支部所属の宇山氏を加えて総勢12名のパーティーとなりました。 ◆ 午前のコース まずは駅から、遊歩道「多摩よこやまの道」の東起点「丘の上広場」へ向います。この地は、万葉集にも詠まれた東国と西国を結ぶ交通の要所。防人の妻が読んだという万葉集の 赤駒を山野に放し 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ (赤駒を山野の中に放牧し捕えられず 夫に多摩の横山を歩かせねばならないのだろうか…) という歌に“よこやま”の名は由来するとのこと。 その「防人見返り峠」と称された展望広場から眺める 多摩ニュータウンは、かつての雑木林を切り開いてできた街で、小田急線と京王線が並走していて都心への通勤アクセス性にも優れ、新しい15〜6階建てのビルも林立する一方、ビクター相模原家族アパートを思い起こさせる古い4階建ての建屋も残っていて、その風景に往時の面影を重ねて懐かしさを感じる面もありました。
「丘の上広場」から約3km強の「よこやまの道/尾根道」を歩き通し、かつて剛腕江夏豊投手が引退試合を行ったという「一本杉公園球場」へ出た街道筋で、ファミリーレストラン「さと」に立ち寄り、各自思い思いにランチを楽しみました。 昼食後は、路線バスを利用して多摩センターへ、さらに京王線に乗り継いで、午後のコース府中へ移動です。 ◆午後のコース 府中は、大化の改新後、武蔵国の国府(国衛)が置かれたことから、歴史的にも重要な場所であり、名だたる戦国武将や幕末の志士ゆかりの神社やお寺がたくさんあります。 中でも創建が、景行天皇41年(西暦111年)とされる「大國魂(オオクニタマ)神社」は、出雲の大国主神と同神である大国魂神を祀り神とした由緒ある古社で、元来は人民に衣食住の道を教え、医療法や呪いの術を授けられた神様とか。 中世以降、源頼朝、徳川家康、新撰組とのかかわりも深いのだけれど、決して「軍神」という訳ではないらしい。近年は縁結びなどのパワースポットとして人気があるとか(平和な時代デス・・・)。 そんな数々のエピソードをひもときながら駅から約15分、大國魂神社へ向かいました。 参道のけやき並木は、平安時代“前九年の役”で奥州安倍氏を討伐祈願成就した源頼義・義家父子 が苗木1000本を奉樹寄進したのが発端とのこと。 分倍河原は、知る人ぞ識る古戦場の地です。1333年、北条泰家率いる鎌倉幕府軍に対し上州で倒幕の兵を挙げた新田義貞率いる反幕府勢力が多摩川河畔の河原を舞台に合戦を繰り広げ、幕府軍を敗退せしめたと言われ、当の新田義貞の騎乗勇姿像が、分倍河原駅前に鎮座しているという次第。新田軍はその後鎌倉まで攻め上ったものの防備万全といわれる「切り通し」に阻まれ攻めあぐねたが、義貞が黄金の太刀を稲村ガ崎の海へ投じたところ、龍神がこれに応えたか突然潮が引き、浅瀬を渡ってこの地を突破した…という伝説は『太平記』に記された有名な物語!幼少の頃に講談社の偉人物語などで読み知った方も居られるのでは? ・・・というわけで新田義貞の像を背景に記念写真をパチリ。全行程およそ約2万歩の散策?を無事に終えたのでありました。 尚、一部の元気ものは乗り換え駅の八王子でチョコっと居酒屋へ寄り道、盛大に・和やかに“反省会”を催したのでした。 ( 眞武 ) |
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