第4回社会見学会レポート
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朝日新聞 東京本社・日本銀行 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10時45分の見学に合わせ、「入館受付け」 を済ませた後、ビデオホール横で集合写真を撮ってもらい、いよいよ見学会のスタートです。
◆朝日新聞社東京本社 ; (10:45〜12:30) 平日・雨天というのに数十名の見学者でホールは賑やかです。全員で20分程ビデオ(会社案内)視聴の後、3班に別れて見学ですが、千葉県から来たという中年女性3人組と一緒に回ることになりました。 <見学順路 : 5F 報道・編集局 〜 B3F 印刷工程(オフセット輪転機)〜 B1F 梱包・配送工程(自動装置)> 見学コースは全て職場の中を通り、直に現場の状況が見られるのにはビックリしました。(最終工程のみ写真撮影OK。) @ 報道・編集局
A 印刷工程(オフセット印刷 輪転機稼働) 大型の輪転機(高さ 14m、印刷速度 朝刊40P 9万部/h、夕刊20P 18万部/h)が四台設置された壮観な職場です。インク(原料は大豆)の臭いは気になりますが、現場は整理整頓されて、さすが日本を代表する新聞社の印刷工程という印象でした。
B 自動梱包・配送(搬送)工程 できあがった新聞を全自動装置で梱包後、行き先別に仕分けされ輸送トラックへ搬送するまでの流れが見られます。主な設備は、新聞キャリア・カウンタースタッカー・宛名印刷機・配送コンベアーと包装材ですが、省人・高速化が進んでいます。 館内(見学工程)での撮影はほとんど禁止ですが、このエリアは撮影が許されました。
約40分間の見学を終え、2Fのビデオホールに戻るとサプライズが待っていました。 ”歓迎 日本ビクター寿会”を刷り込んだ早刷り夕刊が全員に配られ、感激の一瞬でした。 本館・新館(音楽ホールetc)合わせて、3000名の人が働いているそうですが、工場のような騒々しさは感じられず、皆さん粛々と業務をこなしている様子でした。 説明役の藤巻さんありがとうございました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 そろそろ腹時計も限界という頃に・・・千葉から来た三人組と説明員さんのやり取りを耳に、どうやら築地で「安くて美味い」 店がどこか、教えてもらっている様子。「すし富 鮪のづけ丼 650円…」などの情報を収集。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ◆築地市場(昼食・買い物など 12:45〜14:10) 朝日新聞社から3分程のところにある「築地市場」で、昼食と買い物を楽しむ(自由行動)ことにしていましたが、あいにく雨は止みません。食事後の集合場所の確認を終えて、それぞれ目指す店を探すことにしたものの決まらず、前段の「すし富」に 11名、高くても美味い店ということで2名は「すしざんまい奥ノ院」に入店することになりました。「すし富」の2Fは貸切り状態で したが、ネタ・味は申し分なし、リーズナブルなお店でした。”築地のお寿司が食べたい”との希望が叶った成田ご夫妻からも ”大満足”のコメントがありました。食事の後は、それぞれ目当ての食材を買い求めて築地市場を後にしました。 築地市場の場外(飲食店街など)を除く、市場は平成28年11月に豊洲エリアに全面移転することになっています。 ◆日本橋を渡って日本銀行へ。 東西線「日本橋」から、日本銀行への道すがら「お江戸日本橋」(平成11年に国の重要文化財に指定)に立ち寄り、シンボルになっている7国道の始点(道路元標の碑)、親柱の獅子像、中央柱のキリン像などを身近に見ることができました。 現在の橋梁は第19代(1911年:明治44年製)だそうですが、近年は景観問題で高速道路のことが話題になっています。
◆日本銀行本店 (15:00〜16:00) 1896年(明治29年)に造られた、石積みレンガ造り(ヨーロッパ様式)の建物は重厚で威厳を感じさせる佇まいでした。旧館の中庭にある「馬の水飲み場」(開業当時は馬車で来行する人が馬を休ませた所)の説明があって視聴ホールへ。 視聴室は某大学のゼミで来ていた若者たち(30名程)で賑わっていました。ビデオ視聴 20分、見学 40分の予定です。ビデオは日本銀行の役割や仕事の紹介が主です。 <見学順路 : 旧営業場〜資料展示室〜旧地下金庫エリア〜新館 営業場 > 某銀行に勤務経験のある女性職員の方がガイド役、丁寧に説明していただきました。雨模様ということもあって見学するコースは新館を除いては、どこも薄暗く、歴代総裁の肖像画の額絵も見にくい状態です。歴史建造物(国の重要文化財)に手を入れるのは無理かもしれませんが、照明を工夫してもらえるとうれしいですね。残念ながら撮影は全館禁止です。 @ 旧営業場 場内はドーム型天井(東京駅の駅舎と同じ型:設計は辰野金吾が手掛けたもの)で、新館ができるまでは金融機関としての窓口業務をやっていた所です。天井を高くして、外からの明りが入りやすいように工夫した造りになっています。 A 資料展示室〜歴代総裁の肖像画 資料展示室には、当時使われていた拍子木(始業・終業の合図に使用)、制服、提灯、東インド会社から持ち込まれた秤など、我々世代には身近に感じられる展示物ばかりでした。次は、歴代総裁の大きな肖像画額が掲示されているコーナーへ移動、 初代総裁(吉原重俊)から第31代(黒田東彦)までの大きな肖像画(7/24枚掲示)と顔写真パネルが掲示されています。この後、地下の旧金庫に移動ですが、”現存する日本最古のエレベーター”に乗せていただき、大変貴重な体験ができました。内部は広く、金色の煌びやかな壁材や高価そうな装飾が施してあります。建造時からの年代ものですが、歴代の総裁たちも利用していたと聞かされて、格別の高揚感が湧いてました。 B 旧地下金庫
本日一番の目玉ともいえる「旧地下金庫」(昭和7年から100年以上使用されていたという)は、想像以上の頑丈さでした。金庫内の面積は 1426u、扉本体の重量 25t(厚さ 90p)、取付け16t。開閉は人力でされていたそうです。庫内の壁に多数の通風孔があるのは、金庫内の湿気対策と万が一、泥棒が侵入した時に水攻めにする(神田川の水を利用)ためだそうです。現在は庫内に現金は入っていませんが、現役時は40億円積載(1パレット)のパレット群が保管されていたそうです。 C 新館 営業場 一転して現代的なオフイスで仕事をされています。国際部局、発券部局、金融機構局、決済機構局、銀行券の管理、貨幣・地金の出納保管etc全15の部署で幅広い(国内・外の)業務を行っています。 日本銀行では日々、現金 約100兆円 、国債 約73兆円が商いされています。個人でも窓口対応してもらえるそうです。物価の安定や金融システムの安定が主な目的と捉えがちですが、日本銀行は民間銀行の番人でもあります。 本店では約2600名(支店を含め総勢4600名)の人が働いています。 *1969年(昭和44年)建造 D 見学を終えて ビデオホールに戻ると、封筒に入った日本銀行の紹介パンフ、機関誌、古札をシュレッダーした屑(1mmx5mm)入り袋 などが、お土産物として配られました。駆け足での見学でしたが、激動を経て冠を維持し続ける源泉に触れ、有意義な 時間を体感できた気がします。五千&千円札は2年程度で回収され屑(資源ごみ)になるそうで、お金の命は短いものです。
◆まとめ 長時間でしたが予定通り無事に終えることができました。雨天のなか都内までの長旅・・・、皆さん大変お疲れ様でした。 予定通り現地解散ということで、銀座線、JR線、半蔵門線に別れてそれぞれ帰路につきました。(16:10) ( 平野 記 )
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