第5回社会見学会レポート
 
玉川学園・鶴川周辺の施設見学と散策
◇  開催日時:  2016年6月3日(金)                   
◇  参加者 (10名): 
   大浦賢三  大井征二  太田一穂  河合昭平  橋本勝  眞武順造  明星好光  吉本稔  我妻幾久寿  平野靖和   
◇  コース: 玉川大学教育博物館〜町田市立自由民権資料館〜武相荘(旧白州次郎邸)   

  折からの強い低気圧のせいで北海道では雪が舞うというなか、町田周辺は快晴に恵まれ絶好の見学会日和に、「小田急玉川学園前」駅10時。皆さん笑顔で定刻前に集合。
 最初の見学先は玉川学園内の施設ですが、駅から2、3分のところにある守衛所で受付を済ませ校内に入ります。教育博物館は敷地の一番奥にあるため、10分程歩くことになります。
 広大な敷地(約61万u)は大きな樹木に囲まれ、自然公園の中にいる気分にさせてくれます。こちらは幼稚園から大学院までの一貫校で、約1万人が集う総合学園です。将来の日本を託す若者たちの学び舎に足を踏み入れ、格別の思いが沸いてきます。

玉川学園正門 教育博物館の入り口

■ 教育博物館の見学 10:30〜11:30
 資料などの展示はすべて二階ホールに置かれています。約500点あるといわれる展示物や資料の概略について、宇野准教授から説明をしていただいた後、各自で自由見学です。
 第一展示場には、日本教育史の筆蹟、藩校や私塾で使用された和漢籍・図書、寺小屋で使われていた往来物、明治初期の教科書など近代教育の誕生に関わる品の数々、そのほかにも芸術、民俗、考古品(縄文時代の土器)、シュヴァイツァー博士、ガスパール・カサド、原智恵子の資料・作品など、多岐の分野に亘っています。
 第二展示場には、珍しいイコン(聖像画)や西欧の宗教画、油絵、彫刻などが展示されています。藩校(江戸時代に創設されている)出身だという、河合さんと吉本さんが高校時代の回想話で意気投合の様子。 
   
見学前の自習風景  ランチを終えて駅へ向かう 

 この種の展示館は珍しいこともあり、皆さん興味はつきません。じっくり閲覧した人には少々時間が足りなかったかもしれませんが、定刻に博物館を出て学食ホールに移動です。指定席(予約済)に通されて、各自が三種の日替わりランチからチョイス(500円程)、若者達に混じり学食での食事を味わいました。
  午後の見学時間の都合もあって、ランチタイムは40分で、駅に戻ることに・・・。

■ 町田市立自由民権資料館の見学  13:30〜14:30
(小田急)玉川学園前駅から鶴川駅に移動し、神奈中バスで「綾部入り口」まで17分。
資料館はバス停から2分ほどのところにあります。バス便の関係で予約時間より10分ほど早く着いたが、ガイド役の小林さん(学芸員)の了解もあって見学時間を早めていただきました。                           
見学先としては異質なだけに、皆さんの反応が心配でした。やはり案内された途端メンバーからは、緊張感と感心事が交錯したような雰囲気が伝わってきます。説明が進むにつれて睡魔に襲われている人、話に入りたくなさそうな人もいたり、盛り上がりは今ひとつの感じです。見どころは常設展示室&資料閲覧室です。展示されている資料は現物、複写、貸与、手作りの図、鎖衣など。よく見ると所有者が各地域の地主さんで「○○町△△家」といった表示があったり、幼かった頃の田舎の有様を思い出させてくれます。
地域資料を読むほどに「明治時代のお百姓たちの苦悶はすさまじかった」・・・、あれから120年の時を越えた今、国政選挙で「町田市の投票率が、50、60%」と聞くと、先人たちに申し訳ないことです。因みに昭和30年代は80〜90%くらいの投票率だったそうです。どこで変質してしまったのか、平和ボケは政治家だけでなく、国民一人ひとりにも責任があると考えさせられる瞬間でした。
◆ ちょこっと薀蓄
〜自由民権資料館について〜
 自由民権運動は、国会や憲法をつくり、参政権を国民に与えるよう政府へ要求した運動です。町田市域では、この自由民権運動が盛んでした。大正期や大戦後の民主化の潮流のたびに揺れ動いてきた歴史(旧神奈川県域の自由民権運動)に対する、後世に於ける評価資料や当時の鎖衣などを紹介展示しています。運動を先導した地域のリーダーたちの苦悩や情熱、史実などが肌で感じられる貴重な資料館です。
URLアドレス: http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul03/

資料館の見学を終えて
                            
■ 武相荘(旧白洲次郎邸 町田市史跡)の見学  15:00〜15:40
  鶴川駅から歩いて15、6分ほど。緑豊かな高台にたたずむ「旧白洲邸 武相荘(ぶあいそう)」。
入場料(1050円)を払って中に入り、すぐ目の前の小屋で、白洲夫妻や邸宅を紹介するビデオを15分ほど視聴することに・・・。次郎が17歳の時、父から贈られたアメリカ車と同型のクラシックカー(ペイジ)が迎えてくれます
 母屋・納屋など、ほぼ全域が公開されていますが、武蔵野の面影を残す敷地内の庭の散策もできます。夫妻が人生の大半を過ごしたという大きな茅葺き屋根の母屋は、入り口を入ってすぐの居間兼応接間、吉田茂氏から譲り受けた皮張りのソファ、傍らにゴルフクラブ、酒器などの愛用品が並んでいます。奥に進むと大量の書籍に囲まれた妻正子の書斎、着物や器が広げられた座敷にも生活感がそのまま残り、昭和の面影が漂う和モダンな空間といった印象を受けます。

◆ ちょこっと薀蓄
〜武相荘(ぶあいそう)&白洲夫妻について〜
1943(昭和18)年、戦争による食糧難を心配した夫妻は鶴川(現在の町田市)の地に茅葺きの農家を買い、移り住みました。武相荘の名の由来は「武蔵の国と相模の国の境に位置する」ことと「無愛想」を掛けたものだそうです。この場所には、夫妻を慕って多くの文化人、政治家などの著名人が集ったといわれています。
白洲次郎は、戦後の日本で「従順ならざる唯一の日本人」とマッカーサーに一目置かれたり、サンフランシスコ講和条約において、重要な役割りを果たしたことから「吉田茂の懐刀」といわれた人物です。経歴のなかには、官僚(貿易庁長官)、実業家(東北電力会長など)として活躍したことも刻まれています。正子は伯爵家の令嬢として生まれ、日本の伝統美を追求して「稀代の目利き」といわれた白洲正子(随筆家)です。
2015年1月にリニューアルしたレストラン&カフェも併設されています。現在は、夫妻の長女である、牧山桂子さんが武相荘の館長を務めています。
URLアドレス: http://www.buaiso.com/

武相荘 茅葺き母屋の前で
〜〜見学を終えて〜〜
 散策を兼ねて文化と歴史の街「玉川学園・鶴川地区」を巡る社会見学会でしたが、訪れた先はどれもが先人たちの努力やエネルギーの大きさを実感するものばかり。束の間とはいえ時代の風潮や礎に触れることができる貴重な一日でした。参加された皆さんご苦労様でした。
 武相荘の見学を終えて鶴川駅に戻り、町田駅で河合さん、太田さんと別れた8名は待望の居酒屋へまっしぐら。事前に橋本さんが予約をしてくれたお蔭で迷わず入店。料理も美味く、お酒も進み和やかな懇親の時間を過ごして、店を出ると横浜線の帰宅ラッシュの頃でした。            
以上  
平野 記  
                                               

相模原支部TOPへ戻る